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ホーム  O.S.WEB MAGZINE Vol.42 歴史を刻んだO.S.ENGINE 特別編 時代を変えたエポックメーキングな2台

O.S.WEB MAGAZINE Vol.43

2022 March.

歴史を刻んだO.S.ENGINE 特別編

時代を変えたエポックメーキングな2台

好景気に沸いた1970年代、O.S.でも2つのエポックメーキングなエンジンが誕生しました。世界初の模型用ロータリーエンジン49-PIとこちらも量産モデルとして世界初の模型用4ストロークエンジンFS-60。この2機種に的を絞り開発の経緯を紐解きたいと思います
O.S.ロータリーエンジン1-49    

1967年、OSエンジンの当時西ドイツ販売代理店グラウプナー社より、一通の手紙と小さな部品が小川精機に届けられました、それは、バンケルシステムによる模型用ロータリーエンジンの製作の可能性についての問い合わせと、グラウブナー社で試作したロータリーエンジンの部品でした。開発陣が 社長室に呼ばれ、手紙と部品を前に『どうだ出来るか』と聞かれたときは、当時OSの開発及び生産技術力から見て『とても無理です。」と言う返答でした。すぐに小川重夫社長は『将来を考えたら、無理だと思ってもこれくらいのものは研究し、我々のものにすべきだ 。』と即座に返されました。この時は、果たして出来るものだろうかと思いましたが、不可能に見えてもやる気さえあれば出来るものだと言うことを教えられました。実物エンジンの世界では、マツダの東洋工業とヤンマー・ディーゼルの2社が、1961年にNSUバンケル社とライセンス契約を結び、ロータリー・エンジンの開発を続けていました。ロータリー・エンジンについての技術的な記事も時々自動車関係や科学技術雑誌にとりあげられていました。その年ロータリー・エンジンを搭載した実用車『マツダ・コスモスポーツ』の販売を開始し、話題を呼びました。


オットー・シェッグ氏設計のロータリー・エンジンを参考にしてOS独自のロータリーエンジンを開発

グラウプナー社では、バンケル社の一員であったオットー・シェッグ氏の助けをかりて4.8ccのロータリー・エンジンを試作、フランスのコルシカ島で行われたRCの世界選手権大会でデモ飛行をしていました。OS開発陣も視察に行き実際に確かめることになりました。ドイツのグラウプナー社の中庭で、シェッグ氏の手作りのロータリー・エンジンが回るのを目の当たりにして、これなら出来ると確信が持てたそうです。この方式のロータリーエンジンについては当時NSUとバンケル社が共同で特許権を持っていました。しがってこのロータリー・工ンジンを製作し販売するには、特許権についての面倒な契約が必要でしたが、我々にはそのような経験も無かったので、契約はバンケル社と同じ国のグラウプナー社が直接行うことに同意、OSはライセンシーのグラウプナー社に代わり製造を行うことで話がまとまりました、バンケル社においては、模型用のロータリーエンジンなど実用にならないだろうと考え、信じられないくらい安いロイヤリティーでグラウプナー社と契約を締結したそうです。

量産可能のロータリーエンジンを数タイプ開発し最良のものを選択した。写真はその時の試作モデルの数々。

OS開発陣は契約締結後早速、開発に取り掛かりました。オットー・シェッグ氏設計のロータリー・エンジンは量産できる構造でなかった為、トロコイドの寸法とシャフトの偏芯量以外はすべて新しく設計し直しました。基礎設計の次にやらなければならなかったのは、工作機械の用意でした。これまでのレシプロエンジンの製造設備としては所有していなかった平面研削盤の購入や、トロコイド研削盤の製作が必要でした。この頃は好景気で工作機械の需要が多くて納期も長く半年から一年が普通で、短い納期の平面研削盤を探すのに苦労したようです。トロコイド研削盤は、マスターに付ける内歯歯車で、モジュール0.75の内歯の切れる機械を持った加工先が無く、放電加工により試作を行いました。とにかく最初はシェッグ氏の設計をある程度参考にしたタイプのエンジンから作り始め、紆余曲折の末、OS第1号のロータリーエンジンが回ったのは1968年1月の事でした。この試作エンジンを元にOS独自の設計によるロータリーエンジンの試作を開始、サイドハウジングへの金属溶射、アペックスシールの材料選択、ローターのバランシング、専用グロープラグの試作、各部品の熱処理、ベアリングの選択、吸排気ポートの方式や形状など解決すべき問題が山積していました。そしてついに1968年3月OS設計によるロータリーエンジンを搭載したテスト機が独特なエキゾーストノートを響かせて大阪の空を飛びました。
量産タイプO.S.ロータリーエンジン1-49の主要パーツ。

その後いくつか異なった構造のエンジンを試作、試行錯誤を繰り返し量産タイプを決定、量産に向けた試作が始まりました。さらに悪戦苦闘の末、量産タイプのエンジンが完成したのは、ロータリーエンジンに取り組み始めて一年数ヶ月が過ぎてからでした。 ラジコン模型業界への公式発表は1968年秋、千葉県船橋市で行われた三ツ星商店主催の航空ページェントでした。ロータリーエンジンを搭載したRC機が3気、ロータリー独特のエキゾーストノートを響かせ飛び回り、観衆をうならせました。ちょうど一年前の1967年にロータリーエンジンを搭載したマツダコスモスポーツが発売されたばかりで、一般の人々にもロータリーエンジンが話題になっていた時期だけに、OSのロータリーエンジンはトピックとして 取り上げられ話題になりました。
プロトタイプの2ローターエンジン、後側ローターの熱問題を解決できず、残念ながら試作で終わった

この時のデモ機の中には、2ローターのロータリーエンジンを積んだ機体もありました。このロータリーエンジンはまず当時西ドイツのグラウプナー社への輸出から始まり、国内向けに発売を開始したのは1970年でした、以来改良が加えられながら12年間作り続けた後、1982年より高性能なペリフェラルインテークポートを持ったOSロータリーエンジン49-PIへ引き継がれました。 高性能なペリフェラルポートを採用した2ndモデルO.S.ROTARY 49-PI


O.S.ROTARY ENGINE 1-49 スペック
行程体積:4.97cc 出力:0.75ps/16,500r.p.m. 重量:330g 実用回転数:2,500~18,000r.p.m. 発売当時価格:¥24,000

FS-60
初の4st.エンジンFS-60は模型用エンジンの歴史に大きな風穴をあけました。 それは機能追求高性能性化一辺倒の流れから、“楽しみ”こそが性能 なのだという、趣味としての新たなパラダイムシフトの突破口でした。
創業以来、さまざまな模型用エンジンを作りつづけてきたO.S.エンジンですが、基本的にはMAXシリーズという名称に こめられたコンセプトからもわかるように、それまでの全てのエンジンは高出力を目的に開発されたものでした。そのため、重量や排気量に対して効率良くパワーを得ることができる2ストロークエンジンの生産を基本としてきたのですが、エンジン模型が多くのファンに浸透していくに伴い、次第にパワーだけではなく趣味性の高いエンジンが求められ始めてきました。 1975年頃にはR/Cプレーンに魅了された模型飛行機のファンも層が厚くなり、好みも多様化してきました。単なるパワーソースとしての模型用エンジンだけでなく、エンジン自体に趣味性が求められる時代になってきていました。実機に使用されているエンジンが4ストロークなのだから、模型飛行機も同様のサウンドで飛ばしてみたくなるのは当然の発想。この望みは創設者である小川重夫だけでなく、模型用エンジンの持つ趣味性にこだわっていた、当時の若手エンジニア達も同じ思いを持っていました。既存の2ストエンジンを基本に模型用4ストロークエンジンの開発作業がスタートしたのでした。
2ストロークMAX-H60F-RCのクランクケースを使用した試作第1号の4サイクルエンジン、ロッカーアームは小排気量エンジンのコンロッドを加工して使用した。

開発のベースとなったのは67年にデビューしてからベストセラーを記録していたMAX-H60F-RC。そのクランクケースを使用し、可能な限り効率の良い開発作業を推進するために、様々な他エンジンのパーツを流用加工して、プロトタイプの制作にトライしました。
クランク出力を減速してカムに伝える。カムの駆動には、既に完成していたロータリーエンジンのギヤを利用した。

カムの駆動には、既に完成していたロータリーエンジンのギヤを利用し、カムの山は手作業で削り出しました。さらにロッカーアームは小排気エンジンのコンロッドを加工して使用し、プッシュロッドにはピアノ線を利用しました。こうして誕生したO.S.エンジン初となる4ストロークエンジンの量産プロトタイプのテストフライトが早速行われました。排気量は60クラスでしたが、12x6インチのプロペラを7000回転までしか回すことができず、MK製スピリット・オブ・セントルイス号に搭載して、テストフライトを開始しました。
製品発売前に4ストの楽しさをアピールしようと各地でデモフライトを繰り返した。その時には砂型鋳造のクランクケースが使用された。

今となっては4ストエンジンも当たり前ですが、エンジンに火が入るとそれだけで、見守るギャラリーからはざわめきがおこり、明らかにアンダーパワーながら、タキシングを始めました。そして実機同様の長い滑走の後に離陸しましたが、フルスロットルでも緩やかな上昇しかできないその様が、えも言われぬ高いスケール感を感じさせるものになりました。 2ストロークエンジンとは全く異なるこの趣味性の高いサウンドを聞いたO.S.エンジンの経営陣は、即座に4ストエンジンの量産化を決定。開発スタートの翌年にあたる1976年にはFS-60がマーケットにデビューし、今日の4ストエンジンの基礎を作り上げたのでした。 模型飛行機のさらなる趣味性の高さを主張するために、FS-60の持つ決定的な魅力を端的にあらわしたキャッチコピーは、“音のスケール化”というもので、噂を聞きつけたマニアが、各地で行われたデモフライトに参加しました。その反響は絶大なもので、行く先々で黒山の人だかりができるほどでした。 そしてこのお披露目テストフライトの高い評判がさらに噂となって、パワフルになった量産型FS-60がリリースされると、スケールマニアからも大いに支持されることになりました。実機を彷彿とさせるそのサウンドはもちろん、OHVエンジンであることの証になっている2本のプッシュロッドと、ロッカーアーム。さらには、バルブクリアランスをアジャストするためのタペット調整の手間さえもが、4ストロークエンジンの魅力となって、多くの人に受け入れられたのでした。
左から試作第1号、砂型試作モデル、初期量産モデル、最終量産モデル。

そしてこのFS-60の登場がきっかけとなり、新型エンジン開発の方向性が大きく変化しました。既存の2ストロークエンジンの開発に加え、新たに4ストロークエンジンに関しても、一気に開発計画が立ち上げられたのでした。テイストを深く追い求める模型飛行機の世界だけに4ストロークエンジンの存在価値は大きいということが、今日人気を博している様相からも読みとることができます。
FS-60 スペック
行程体積:9.97cc ボア:24.0mm ストローク:22.0mm 出力:0.6ps/10,000r.p.m. 重量:560g 実用回転数:2,000~10,000r.p.m. 発売当時価格:¥36,000

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